サニブラウン選手の活躍は目覚ましいものがあります。2019年の日本選手権では100,200mの二冠を達成しました(参考記事)。
そこでネットなどで、「もうフロックでも何でもない」なんて言葉が出て、
と思ったことありませんか?
今回はそのもとになったネタを解説いたします。サニブラウン選手はこれからも活躍する選手。この記事でしっかり元ネタの知識をつければ、話題が出るごとに話を広げられますよ♪
サニブラウン選手とは?
もう説明する必要がないくらい、有名になったサニブラウン選手ですが、少しばかり彼の解説をいたします。
サニブラウン・アブデル・ハキーム(Abdul Hakim Sani Brown、1999年(平成11年)3月6日 – )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。 100mでは日本歴代1位。また、200mでは日本歴代2位。60mでは日本歴代1位タイ記録を持っている。
福岡県北九州市出身。ガーナ人の父と日本人の母を両親に持つ。
とにかく短距離選手としてとても優秀で、ユースの大会では何度も世界一に輝く・最年少(16歳)で世界陸上の200m準決勝進出・最年少(18歳5か月)で同種目決勝進出・100mで9秒台出したのはボルトより若い…
など、今後更なる飛躍が期待できる選手です!!
「もうフロックでも何でもない」の元ネタ
彼が活躍する度にでてくるこのフレーズ
「もうフロックでも何でもない」
これの元ネタは何なのでしょうか?
これは、1997年日本ダービーのゴール前の実況のセリフなのです。
このレースの優勝馬は
「サニーブライアン」
字にするとかなり似ていますw二つをずっと見てるとゲシュタルト崩壊するくらい似ています。
このサニーブライアンという馬は、実は「日本ダービー」の前に「皐月賞」という大きなレースを勝っています。
日本競馬ではこの春に行われる「皐月賞」「日本ダービー」と、秋に開催される「菊花賞」とを合わせて三冠レースといいます。サニーブライアンは「皐月賞」と「日本ダービー」を獲ったので「二冠」を達成したという事です。
また、サニーブライアンは
父:ブライアンズタイム(米国産)
母:サニースイフト(日本産)
という人間でいうとハーフのような血統です(あまり競馬では言いませんが。。)。
- 字面が似ている
- 二冠を達成した
- 血統的にハーフ
という共通点があるので、二人(一人と一頭?)はよく並べてネタにされるのです。
「フロック」の意味 サニーブライアンについて
ところでこの「フロック」という意味をご存知でしょうか?
フロック【fluke】
① 玉つきで、まぐれあたり。
② 思いがけずうまくいくこと。まぐれで成功すること。大辞林第3版より
つまり「まぐれ勝ち」ってことです。
ですので、サニーブライアンが日本ダービーを勝った時の実況は、
「フロックでも何でもない」
⇒「まぐれ勝ちと思われていたけど、本当に強い馬なんだぞ!」
という意味が込められているのです。
ではこの「まぐれ勝ち」とは何か?それは一冠目の「皐月賞」のことなのです。
皐月賞でのサニーブライアン(1冠目)
https://www.youtube.com/watch?v=sjYEvRXtLBY
皐月賞というのは、前述のとおり競馬のとても大きなレース(GⅠ)です。このレースには
- 名馬の登竜門と言われた「ラジオたんぱ杯3歳ステークス」を制した「メジロブライト」(後の天皇賞馬)
- 前哨戦の「弥生賞」を圧勝してきた「ランニングゲイル」
などそうそうたるメンバーが出ていました。ちなみにサニーブライアンも「弥生賞」に出ていましたが、3着に敗れています。
前哨戦でも敗れ、ここまでの戦績が8戦2勝とパッとしないこともあり、18頭中11番人気と完全なる穴馬扱いだったのです。
しかもジョッキーは大西騎手という地味な騎手。これまで大レース(GⅠ)はおろかその前哨戦と言える重賞と言われるレース(GⅡ、GⅢ)すら勝ったことがなく、この年まだ2勝(うち1勝はこの馬:大体この時期トップは30~40勝くらいはしている)という始末。
これでは人気がないのも仕方ありません。
と宣言しても、誰も耳を貸しません。有力どころは後ろからレースを進めるため、「恰好の餌食になる」くらいにしか思われてなかったのです。
しかしレース(2000m)が始まると、
スタート!!
1000m通過
3コーナー通過
最終コーナー
ゴーーーーール!!
というように、多くの人気馬を出し抜きまんまと逃げきったのです。
このように、人気馬が後ろでけん制しあってるあいだに漁夫の利的な騎乗でこのレースを勝ったため、全国の競馬ファンの大半は
と考えていたのです。彼には本当の実力が備わっていたことも知らずに。。。
日本ダービーでのサニーブライアン(2冠目)
皐月賞を見事に逃げ切ったサニーブライアン。次の舞台は最後の直線の距離が日本一長い東京競馬場。マグレの逃げ切りが非常に起きづらい厳しいコースです。
しかも前走より強力なライバルが増えています。
- 皐月賞の雪辱を誓う「メジロブライト」(後の天皇賞馬)
- 後の伝説の逃げ馬となる「サイレンススズカ」(後の宝塚記念馬)
- 前哨戦を圧倒的スパートで制した「シルクジャスティス」(後の有馬記念馬)
など、強敵が目白押し。そのため1冠目の皐月賞を制したというのに、異例の18頭中7番人気!!ここまで人気のない皐月賞馬は前代未聞でした。それだけ当時世間がマグレと思っていた証拠です。
しかし大西騎手は
という名言を残し、このレースに臨みました。
実は彼、かなりこのレースに手ごたえを感じていたのです。前日麻雀で「四暗刻緑一色」のW役満を上がっており、調子はまさに最高だったのです。
そんな中、レースはスタート
道中
というくらい、悲しいほど多くの人達にいないものとして無視されていました。当時どれくらい無視されていたかというと、勝負所である最終コーナー前で実況が先頭のサニーブライアンを無視して
と言ってる(1分50秒~)くらいです。。
そして直線。サニーブライアンはスパートして後続に4馬身ほどの差をつけます。
と後続も差を詰めようと必死ですが、詰まらない。
後方から異次元のスパートを繰り出したシルクジャスティスが2番手に上がった時、サニーブライアンはまんまと日本ダービーのゴールを先頭で駆け抜けていたのです。
その時のセリフが
だったのです。
こうしてサニブラウンもとい、サニーブライアンは2冠を達成したのです。
実は大西騎手はダービー騎乗が2回目。1回目は本馬の伯父さん(母の兄)サニースワローに騎乗して2着だったのです。
そしてこのサニースワローは、騎手も調教師も、馬主すら今回のサニーブライアンと全く同じ。彼ら全員2回目のダービーでした。
馬主に至っては、この年所有馬がこのサニーブライアン一頭のみというまさに奇跡的めぐり合わせ。
その後のサニーブライアン 3冠を目指して
このように、ファンから支持されないまま実力で二冠をもぎ取ったサニーブライアン。当然次の目標は秋の「菊花賞」。これを制して「三冠馬」を目指すはずでしたが。。。
ダービーの後に骨折判明!!
不運にも、全治6か月の骨折をしてしまったのです。(実はレース中に骨折していた。。)
菊花賞に間に合うはずもなく休養。その後骨折空けで翌年の大レース(天皇賞春)に向けてトレーニングを再開した矢先に、屈腱炎という脚の病気(炎症)を患い、ダービー後レースに一度も出ることなく引退してしまいます。
という想いを皆に与えながら、引退。その後種牡馬となりました。
1勝を挙げる子供たちは多かったのですが、大きなレースを勝つような馬は出てこず2007年に種牡馬引退、2011年に死亡してしまいます。
しかし正々堂々2冠を逃げ切ったその雄姿は、レース実況のセリフとともに20年以上たった今でも色あせることはありません。
まとめ
サニブラウン選手が活躍する度に語られる
「フロックでも何でもない」
の元ネタについて解説いたしました。
1997年日本ダービー馬 サニーブライアンに向けられた実況のセリフ
「これはもうフロックでも何でもない!二冠達成!」
このサニーブライアンを足掛かりに、色々と競馬に興味を持たれる方が増えてくれれば幸いです!私自身も20年以上競馬ファンをやっているので、仲間が増えると楽しみです!!
願わくば、サニブラウン選手はサニーブライアンのように骨折⇒引退などせず、末永く現役を続けて、大記録を達成していってほしいですね!
頑張れ、サニブラウン選手!!